しいたけ園←ブロッコリー

南波典子から『トーキョー・ボディ』共演者である久保優子さんへ送る日々の記録。
子育てのこと、仕事のこと、などなど。

久保さんからのお返事『しいたけ園→ブロッコリー』も、どうぞよろしく。

映画『3人、』見に来てくださった皆さま、ありがとうございました。
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『トータル・リビング1986-2011』つづき
『トータル・リビング1986-2011』の感想を書こうと思いながら、ばたばたと時間がなくて文章がまとまらない…。

昨日のは携帯から書いたのでどこへ向かって書いているのかよくわかりませんね。

1986年については実は自分にはほとんど記憶がないのです。テレビもあまり見ていなかったので、自殺したアイドルについても、亡くなってから名前を知ったくらいで、その当時の空気というのはまったく記憶がない。
でも劇中での、1986年のある日の屋上の様子を見ていると、そこから繋がっている今現在、というのがよくわかって、滑稽で、悲しかった。いっぱい笑ったけれど。
ニュータウンで共演した時田光洋さんの魅力が満載だったなあ。終演後あまりお話しできなくて残念でした。

『トーキョー・ボディ』では「死ぬな」という台詞があり死はとても重いものでしたが、今回はバッタバッタと人が倒れて行き、飛び降りることができる場所があり、何人も飛び降りたり落とされたり間違って落ちちゃったりしてるのを目の前で見てるのが非常に怖かった。でもあとで這い上がってくる人もいて、救われました。

終演後のトークで岡室美奈子さんが「1995年じゃなく1986年をもってくるということは、宮沢さんにとっては震災ではなく原発事故なんですね」とおっしゃっているのを聞いて、本当に3月11日以降の、それぞれの人の中で抱えるものが大きく違い、そのことでやっぱりみんなねじれたまま他人と接しなくてはいけないような、なんとも言えない気持ちをまたずきずきと感じました。しょうがないんだけども。雑誌「悲劇喜劇」に載っている岡田利規さんの『家電のように解り合えない』とか、高橋源一郎さんの小説ラジオ『分断線』を読んで、じゃあ自分はどうしましょうかと、どうやってこの日常をしっかりやっていこうかと、また考える。考え考える日々。

『トータル・リビング1986-2011』は24日まで。まだご覧になってない方はぜひ西巣鴨へ。どの方にとっても、3月11日以降の日々にひとつ大きな碑を立ててくれる、そんな作品だと思います。上滑りな言葉じゃない真の希望を探してここからまた再出発することができます。

もっといろいろ書きたいけれど、今日はここまで。いつも中途半端だなあ。
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