しいたけ園←ブロッコリー

南波典子から『トーキョー・ボディ』共演者である久保優子さんへ送る日々の記録。
子育てのこと、仕事のこと、などなど。

久保さんからのお返事『しいたけ園→ブロッコリー』も、どうぞよろしく。

映画『3人、』見に来てくださった皆さま、ありがとうございました。
『おいしいコーヒーの真実』
この日の朝はまず選挙の投票をしに行きました。
投票所は近所の自治会館だったのですが、投票紙に記入する場所の個別の囲い(アルミのようなものでできている)の、すぐ目の前にいつもなら候補者名や政党名が書かれた小さな紙が貼ってあるのに、それがなかったので、一瞬焦りました。顔を上げたら壁に大きなものが貼ってありましたが。この投票所ではいつもそういうやりかたをしているのか、なんなのか、わかりませんが、本当に焦りました。誰に投票するか、どこに投票するか決めていても、ちゃんといちいち確認しながら書きたいので。

その後、ブックオフが半額セールをしていたので色々買いました(右の本棚に追加しました)。

まずは『まんげつのよるまでまちなさい』(マーガレット・ワイズ・ブラウン:作、ガース・ウィリアムズ:絵)。


小さなあらいぐまの子が、夜っていったい何だろう、暗いってどのくらい暗いんだろう、見てみたい、外へ出たいとお母さんに言うのですが、「満月の夜まで待ちなさい」と言われ続け、待っているうちに少しずつ成長し、とうとう我慢しきれず「ぼく、夜を見に行ってくるからね」と宣言した時、ちょうど満月の夜になっていて、というお話です。
しみじみ、美しい本だなあと思います。ほかのマーガレット・ワイズ・ブラウンの本同様、途中でお母さんがお月さまを歌った歌を歌うのですが、それがまたいいのだなあ。そしてまた、これも彼女のほかの本に通じることですが、読むのが難しいのです…。ハードル、激高。これまで(今日は1月10日です)何度も読まされていますが、毎回、ラストを読み上げる時には高いところから飛び降りるような気持ちです。ああ。

つづいての絵本は、『かず』(西内久典:文、安野光雅:絵)。


1970年に発行された本だそうです。子供に数の概念を教える本はたくさんあると思うのですが、これはとびきり美しいのでは。


全部のページをご紹介したいくらいです。

『蚤の市』(安野光雅)。


こちらも安野光雅さんの本です。『旅の絵本』シリーズのように、文はなく、びっしりと蚤の市の様子が何ページにもわたって描かれています。それを眺めているだけでとても面白いのですが、この本にはもうひとつ面白いところがあって、それはあとがきに書かれている文と、そのとなりに「この本を買った日」と、日付を書けるようになっているスペースがあることです。
あとがきの最後にはこうあります。
「機械で作ったものを、手作りのように見せようとしても無理ですし、また、新しいものをわざと汚して古く見せようとしても、それはできません。思い出というものを、大急ぎでこしらえることができないようなものです。この本は新しいものですが、きっといつのまにか古くなります。この本の日付けを見てください。これは、1983年の10月に出た本です。あなたがこの本を買った日付けと、何か気のついたことをここに書きとめておいてください。私はこの本が、何十年もたって、もういちど見てもらえる日をまっています。もしかしたらこの本が蚤の市に出るかもしれませんからね。」
となりのページには買った日付けとして「1983.11.19」と誰かの字で書いてありました。そして私はその下に、「2012.12.16」と書きました。我が家に来てくれてありがとう。

『ひとのからだ』(毛利子来:著、帆足次郎:絵)。


あかちゃんに興味津々の息子ですから、きっとこういう本にも食いつくだろうと購入。『育育児典』で知られている毛利子来先生の本で、人の体についてとても優しく、易しく、説明してくださっています。息子、大興奮。帰ってからずっと眺めていました。もちろんこちらは質問攻めです。

『ちびくろ・さんぼ』(ヘレン・バンナーマン:文、フランク・ドビアス:絵)


よく知られている名作ですね。何度読んでも楽しいです。ぐるるるるるるる。

そして、右の本棚には追加できませんでしたが(普通の本屋さんには置いていないのかな)、『子どもたちのアンデルセン』(スベン・オットー:絵)という本も買いました。


『雪の女王』『火打ち箱』『野の白鳥』など16のお話が入っていて、すべてスベン・オットーの美しい挿絵がついています。
表紙をめくるとこんな感じです。


息子はもう少し大きくなってからじゃないと楽しめないかもしれませんが、とにかく私が読みたくて。


と、こんな感じでたくさん買ってきたのですが、半額セールですから、もともと105円の値札がついてるものがさらに半額、という本も何冊かあって、全部で千円ちょっとだったような。でも生涯大切にしたい素敵な本ばかりです。

とにかく息子がえらい食いつきだったのが先ほども書いた『ひとのからだ』で、寝る前には「あーちゃんのおなかは怖いの?」「怖くないよ」「にっこりしてる?」「にっこりしてるよ」「ろっこつは怖い?」「怖くないよ。Fを守ってくれてるのよ。」「ろっこつにはおくちあるの?」「どうだろう、パパー!」「(夫)肋骨には口はないよ」「ろっこつの夢が見たい」「きっと見れるよ」「あーちゃんのお腹の中で、頭が下にあったの?」「そうよ」「ほとけさま(喉仏)はここ?」「そうよ」「ほとけさまにっこりしてる?」「してるんじゃないかな」と、息子は、新しい扉を開けてしまってどうしたらよいかわからない、というような、ちょっと混乱した様子で、涙目になりながら質問を繰り返していました。ちょっと刺激が強すぎたかな。

夜はもちろん選挙の結果をテレビで見ていたのですが、その結果も、報じられ方も、まともに見続けるのはとても辛いと感じたので、「私は日本人でなく地球人としてこれからは生きていこうと思うの」と夫に宣言して、『おいしいコーヒーの真実』というドキュメンタリー映画を観ました。

大部分のコーヒー豆の価格が先進国の大企業によって勝手に決められていること、それによって貧困に苦しむコーヒー農家を助けるために動いている人たちのこと、食料援助を受けないと生き延びることができない人々の暮らし、コーヒー豆より麻薬の原料になる草を栽培した方が高く売れるので、そちらに切り替える農家が増えていること、一方で、異常な盛り上がりを見せるバリスタの世界大会の様子や、自分の仕事について誇らしげに語るスターバックスの店長など、様々なことが映し出されていて、とても、考えさせられました。
フェアトレードについては以前から興味を持っていたけれど、やはり、知らなかったことがたくさんあって、ああ、甘かったな、と。
適正な価格で農作物を買い取り、生産者の生活の向上を目指す、ということについて、私は今まで具体的なイメージを持てていなかったと思います。生活の向上、というのは、電気を引いて家電を使うとか好きな本を買うとか車に乗るとかいうことではなくて、ただ、飢え死にしないで明日も生きのびるという、それだけのことでした。それだけのことができなくて苦しむ人たちがいる。しかもそれは、干ばつのせいとかじゃなくて、先進国の私たちが、無自覚に、ただ安いものを求めているからそうなってしまうという、恐ろしい現実。
自分がものを買う時に、どんな企業から買うかによって、見えない遠くの人たちが死んだり生き延びたりする。これは大変なことです。大変だけど、きちんと選択することによって、生き延びさせてあげる(というのも傲慢な言い方だけど)こともできるのだから、知っておいてよかった、この映画を観て本当によかったなと思いました。

そして、地球人として、とは言っても、もちろん日本の政治のことも無視できるはずがないのです。フェアトレードのことだけでなく、原発の問題など、今は様々な問題を同時に考えていかなければいけない時代なのだと、DVDの特典映像でおっしゃっていた方がいらっしゃいましたが、ほんとにその通りだなと思いました。しっかり勉強して、考えていかなければ。
| 映画 |
『3.11 A Sense of Home Films』
秋篠音楽堂というところで『3.11 A Sense of Home Films』を見てきました。前にも一度、テレビで紹介されていたのを見て少し書きましたが、河瀬直美監督が世界の映画監督に呼びかけて3分11秒の映画を制作してもらい、それを集めた作品です。

「ならしん映画祭」という、奈良信用金庫が企画した催しでしたので、客席は年配の方がほとんどで、上映前の主催者の方の挨拶なども長く、息子はすっかり機嫌を損ねてしまって映画が始まってからもごそごそと落ち着きがなく2度退場。「帰るよ」と言うと「見たい」と言うので「じゃあ静かにしてなきゃだめ、じっとしていられる?」と聞くと「できる」と言うのでまた戻って座らせてふうと一息ついたら椅子から転げ落ちて泣いているという、なんだよもうという感じでやはり帰ろうとしましたが、出口手前で諦めきれず、「ロビーにモニタがありましたがあれで見させて頂くことはできませんか。息子が落ち着きがなくて。私はとても楽しみにしていたのですけど。」とスタッフの方にお願いしたらすぐに見れるように整えて下さいました。感謝感謝。

そんなこんなで途中、見ることができなかった作品もいくつかあったのですが、とりあえず最後まで鑑賞。
印象に残ったのはイサキ・ラクエスタ監督の『DESPEDIDA(FAREWELL)-告別』、山嬰埓せ甸篤弔痢悗爐垢咫戞▲僖謄・スミスのポエトリーリーディング『People Have the Power』、そしてテレビでも見たけれどアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『MONSOON』、ビクトル・エリセ監督の『"Ana,three minutes"』、河瀬直美監督の『HOME』。
それぞれの監督のとらえた「家」の感覚。3.11の出来事を見つめて世界の監督があらためて考えた「家」がそこにはありました。そして直接的ではなくてもやはりあたたかく日本を見つめ応援して下さっている気持ちが伝わるものもありましたし、地震や津波を思い起こさせる作品を撮った方は、そのドラマチックさでいうと実際に起きたことの方が遥かに恐ろしく演技はそれを越えられないけれど、それでもそれぞれの方の中の3.11、その時の恐怖と向き合うためにそのことを作品にされたのだなと思いました。
パティ・スミスのポエトリーリーディングやビクトル・エリセの作品はとてもはっきりしたメッセージをこちらに投げかけている作品ですし、一方『MONSOON』や『告別』、『むすび』などは愛する人、帰るところ、切っても切れないもの、としての「家」をしっかりと見つめた作品です。

ほかの作品も含め本当に面白く私は満足したのですが、年配の方々は会場を出るなり「わからない」「つまらない」と口々に言って帰っていかれました。作品が始まってすぐに帰られた方もいましたし、上映前に挨拶された方も「わからないものもあるかもしれませんが、わからないと思われた方はぜひパンフレットを買ってお読みになって下さい。」とおっしゃっていました。21人の監督がそれぞれの「3.11」「家」について作品を作られているのに何も心に残らなかったのかいなと私はそのことが不思議で仕方がない。何も感じようとせず何も自分から考えようとしない老人には決してなりたくないなと思いながら会場をあとにしました。

『MONSOON』はちょうど息子が暴れ出したのでテレビで見た時のような感動はなかったのですが、スカイプをやっているという設定だったのか。気づかなかった。ささやかなものを愛する人と共有している、その一瞬を永遠に見せる力はやはり見事だなあと思いました。

なんかとっちらかったまま整理できずに書いていますが、私は見終わってやっぱり、21人の監督の思いや姿勢にとても感激したし、この作品に出会えてよかったと思ったのだけど、とにかく老人達の「わからなかった」のつぶやきが羽虫の大群のように襲って来て本当にげんなりする。ビクトル・エリセは記者会見で「私達のホーム=地球。その隅々までメッセージを届かせるため、ダイレクトで全ての人が瞬時に理解してくれるシンプルな表現にしました。」とおっしゃったそうですが、この会場の老人達には届かなかったようです。

でも私は受け取りましたよ。この作品にかかわった全ての方に感謝したいです。やっぱりこういうものが私の力になるのです。
| 映画 |
『ヒバクシャ〜世界の終わりに』
生駒市は10月からゴミ収集の曜日が変わり、分別も始まったのですが(遅いよね…)、どうもうちのアパートの中に未だにそれをわかっていない人がいるらしく、以前のゴミ出しの曜日に出して、しかもネットをかけておらず、それをカラスが喰い散らかしてあたりがとんでもないことになっている…、というのがここひと月以上続いているわけです。
つい先日もポストに「ゴミ収集日が変わりました」と再度チラシを入れて下さった方がいたのに、今日も午後帰って来たら家の周りがゴミだらけになっている!
「まったくもう!」とブツクサ言いながら掃除をしていたら、横で畑仕事をしていたおじさんが「ご褒美だ」と大根を一本引き抜いてきてくれました。ありがたや…。
で、そのいただいた大根を半分、下の階の奥さんに持って行ったら(その家のご主人がいつも掃除して下さっていたようなので)、「ほうれん草いりますか。なんか穫れどきらしくて。」とこれまたいただきもの。ありがたや…。
それにしてもこのゴミ収集日の変更については何度も広報で知らされていたのだし、ついこないだもチラシが入っていたのだし、まったくどういう神経してるのかと。下の階の奥さんと「今度出すとこ見つけたら言う」「私も見つけたら言う」などと話して帰ってきました。

さて、昨日見た映画について、なにから書こうかと考えると、やはり鎌仲ひとみ監督の『ヒバクシャ〜世界の終わりに』でしょうか。

イラク、広島、長崎、ハンフォードの核被害者(ヒバクシャ)達を追うドキュメンタリーでした。

イラクの劣化ウラン弾も、広島、長崎の原爆も、落としたのはアメリカですが、そのアメリカのハンフォード核施設の周辺住民も長い間放射能汚染に苦しんできたこと、しかも政府は実験のために空からヨウ素131を撒いたことさえあるということ、これは本当にショックでした。
ハンフォードの風下で農場を営むトム。彼が車で周辺の街を案内しながら窓から見える家々の住人の病歴を語って行くシーンは本当に恐ろしかった。甲状腺癌、その他の癌、女性は皆流産の経験があり、この家の子は片腕がなく、この家の子は眼球がなかった、この家にも奇形児が生まれたが母親がその子を殺し自らも命を絶った、ここにはよそから移り住んだ人がいたが3年後やはり癌で死んだ、などなど。他の住民も「子どもが突然目と鼻から血を流した。空を見ていただけなのに。」と。
一方、トムの弟は「核のことは気にしない。ここは自由の国だから。」と。でも彼の奥さんも甲状腺癌。そして彼の農場でとれる牧草やジャガイモは日本へ輸出される。
苦しんでいる人がいる一方で、「自分達が世界を養っている」と思っている農夫がいて、核施設で働く人びとも「自分達が国を守っている」と本気で信じている。

日本で被爆者治療をずっと続けてこられた肥田舜太郎先生も登場するのですが、戦後、ABCCが被爆に関する記録だけ集めて治療はまったく行わなかった中、肥田先生がなんとか治療したくて医療情報を求めたら軍に4度も逮捕されたという話もショックでした。

ほかにも、ああ、知らなかった、なんてことだろう、ということはたくさんあったのですが、イラクで生きる人たちの生活を見ていたら、やはり日本人やアメリカ人の生活とは全く違うわけで、その中にある豊かさと、貧しさが、私たちのそれとはずいぶん違うように、核に対する捉え方もまた違うのかもしれないと、見ながら考えていました。そして、私たち家族が神奈川から逃げて来たこと、それは間違いではなかったけれど、逃げたそのあとどう生きるか、本当にしっかりと考えなくてはいけない、どこまでも逃げたくても核の問題は福島だけの話ではない、でもだから諦めようということではもちろんなくて、これ以上核の汚染を拡げてはいけない、そのためにできることをしなければいけない、世界の終わりをただ待ち受けているだけではいけないのだと、強く思いました。

鎌仲監督や、肥田先生など、ずっとずっと核の問題と向き合って来られた方々の、今回の事故後の発言というのは本当に重い(映画は事故前に制作されたものですが)。当事者になって初めて大騒ぎしている私はもっと勉強しなければと思いました。

そして不安がったり怒ったりすることだけじゃなく、生活の中で豊かだと思えること、幸せだと思えることを今まで以上に大切にしたいと思いました。まあこれは、震災以降、大勢の人が思っていることだと思うけど。
映画を見ている間、託児サービスを利用していたのですが、迎えに行ったら息子が見たことないくらい大泣きしていたのです。私の顔を見て怒りながら泣いて、夫が一緒に迎えに来ていないとわかって更に怒りながら泣いて。「ごめんごめん、悪かったよ。みんなで一緒に帰ろうね。」となだめながらも、ああ息子は大きくなったんだなあと、もっと赤ちゃんの時はこういうの平気だったけど、「遅いじゃないか!ボクは寂しかったんだぞ!」とこんなに怒れるようになったのかと、しみじみ我が子の成長が嬉しくて、この今の一瞬が宝なんだなと思いました。

「みんなで帰ろうね」と言っておきながら、私も夫も気持ちが重たくそのまま家には帰れなくて、日が暮れかけた奈良の街をうろうろとドライブしてから、家に戻りました。
で、重い気持ちをひきずったまま、どうしてもDVDを翌朝までに返さなくちゃいけなかった『萌の朱雀』を見たわけですが、その話はまた今度ということで…。
| 映画 |
『A Sence of Home Films』について、ちょっとだけ
長々と、テレビで見た『A Sence of Home Films』という、様々な監督が3分11秒の作品を撮るというプロジェクト作品のことについて書いていたのに、間違って消してしまった…。なんてことでしょう。

最初から書き直している時間がないので、これだけ書いておきます。

いくつか番組内で作品を見ることができたのですが、その中で、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『モンスーン』という作品が素晴らしかった。久しぶりに映画の中の世界と私が繋がる感覚を味わいました。映画ってすごい。ありがとうと言いたくなる作品。
これを見て『10ミニッツ・オールダー』の中の、ビクトル・エリセ監督の作品を思い出したのだけど、そのビクトル・エリセ監督が『A Sence of Home Films』のために撮った3分11秒は、アナ・トレントに強いメッセージを語らせるという意表をつくものでした。今の日本の状況について、黙ってはおれなかったんだろうな。日々、自分なりに向き合っているとは言え、またこの作品のメッセージについて深く考え、しっかりと世界に向き合いたいと思いました。

この『A Sence of Home Films』、金峯山寺での上映は見に行けなくて、本当に悔やまれるのですが、またこれから奈良で見ることができるようなので、その時は必ず行きたいと思います。

あー、なんててきとーな文章なのでしょう。ひどい。消してしまった私がバカだ。
| 映画 |
『friends after 3.11』
録画していた岩井俊二監督の『friends after 3.11』を見ました。スカパーの無料放送の日だったので見ることができました。
放映前、岩井俊二さんはツイッターでこのように書かれています。

「新作完成!十数人の「友達」が登場します。藤波心・後藤政志・鎌仲ひとみ・田中優・山本太郎・上杉隆・武田邦彦・岩上安身・飯田哲也・小林武史・北川悦吏子・吉原毅・清水康之・小出裕章。本編の中で彼らについての説明は限りなくゼロ。できるだけ予習しといてください。」

この出演者の方々の名前を見て、ピンとくる方はほとんどの名前にピンとくるだろうし、ピンとこない方はほとんどの名前にピンとこないのかもしれません。
私はほとんどの方のお名前を震災後に知って、いろいろな形でネット上で追いかけてきました。ツイッターでフォローしたり、ブログを見たり、お話をされている姿をYouTubeで見たり。

映画の中でそれぞれの方の言葉は今までになく重く心に突き刺さり、途中まではなんとかこらえていたのですが、小出裕章さんと松田美由紀さんのやりとりを見ていたら涙が止まらなくなってしまいました。なんだかもう、今までなんとか保ってきた冷静さなんてものは簡単に打ち破られてしまった。この小出裕章さんのインタビューの場面はこちらで見ることができますので映画をご覧になってない方はぜひ見てみて下さい。

この出演者の方の名前を見て最初意外だったのは北川悦吏子さんのお名前でしたが、その北川悦吏子さんの、すごく身近な、多分たくさんの方が思ったであろう普通の感覚のことを話していらっしゃる姿もとても印象的でした。
飯田哲也さんの「10年のスパンで考える」という言葉も重かったし、城南信用金庫の吉原毅理事長の「企業は損得ではなく志を持つべき」という言葉にも心を打たれました。そして上にお名前は載っていないけどマレーシアの映画監督タン・チュイムイさんの必死の訴えも迫ってくるものがありました(ここの部分も動画がありました。こちらでご覧になって下さい)。
この映画で初めてお名前を知ることになった清水康之さん(ライフリンク代表)のお話も衝撃的でした。日本では毎日90人近くの方が自殺で亡くなっていること、これは先進国の中ではトップクラスであること、日本よりも自殺率が高い国は旧ソ連や東欧の、突然価値観ががらっと変わってしまった国々に住んでいる人たち、そして自殺率1位の国はベラルーシであること。

そして、このような方々のインタビューの他に、被災地を訪れた映像があり、津波で破壊された町のこと、亡くなった方達のこと、家族や家を失った方達のこと、そのことと、放射能のことだけに振り回されている今の自分のこと、もちろん放射能の被害はとてつもないものでこれからも考えないわけにはいかないけれど、それどころではない人たちがいること、その前に突然失われたたくさんの命があること、そういうことが、次々と、それこそ津波のように襲って来て、見終わった後、どう言葉で表したらよいか、ただただ苦しく、でも子ども達のために少しでも良い未来を残さなければいけない、鎌仲ひとみさんのおっしゃっていた「本当の豊かさ」を探してこれからも突き進まなければいけない、と、とにかく震える思いで、でもどうしても、一人でも多くの人に、チャンスがあれば見ていただきたい映画なので、こうして書いています。

岩井俊二さんは「全身全霊で作りました」と書かれています。本当に、全身全霊が伝わってきます。出演されているすべての方の全身全霊も伝わってきます。素晴らしい映画ですがこのような映画が生まれなければいけなかったこの現実がとても悲しい。皆さん機会があればぜひご覧になって下さい。
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